ワーキングホリデーの日々 IN NZ~フルーツピッキングの仕事 その4 サリタ農園NO.2~
いや~。
取材があったり、本が発売されたりしたので、11月からニュージーランドの話をストップしていました。
この前、お店に来ていただいたお客さんに
「いつもブログを読ませてもらっています。とっても面白いです。TVでみていた芸能人に会うみたいな感覚で、(わたしたちに)会えてうれしいです。」
といっていただき、
「このつたないブログを読んでくれている人がいるんだ。
」
と感動しました。
それもあって、更新しなければと、久々にはりきっています。
ニュージーランドでのワーキングホリデーの経験話を進めていて、「SARITA」という農園で、果物の収穫作業の仕事につくことができたところまでで話はSTOPしていました。
農園のキャンピングカーに住みこむことになった私たち。

でも、私たちの他に、住み込んで働いていた仲間が2人いました。
その2人は、もちろんSWEETなわたしたちと、キャンピングカーにいっしょに住んでいたわけではなく、みんなが集まる談話室に2段ベットを置いて、そこに寝ていました。
夜になると、TVのあるその談話室で、一緒に映画を見たり、(はっきりいって、全くといっていいほど英語が聞き取れませんでしたが、映像で内容を想像していました。)、「スクラブル」という英語のクロスワードパズルをしたり、「UNO(懐かしい「うの」)」をしたりして遊びました。

夕食後には、みんなで「デザートを採りに行こう!」といって、車で農園に入って行き、まだ収穫していない「さくらんぼ」や「もも」を山盛りとってバクバク食べたり、ジャムを作ったりしました。
「こんなに一杯果物がなってるんだから別にちょっとくらいもらっても全然問題ない。へへへ!」
と思い込んでいたので、実は、わたしがみんなをひきつれて毎晩採りに行っていました。
冷静に判断すると、泥棒に近いような気がします。(いえ、きっと泥棒です)
でも、その時は、全くほんの少しも悪いことだとは思っていませんでした。
初めは、「シーフ、シーフ」(泥棒)と笑いながらわたしのことを呼んでいたいた農園の仲間たちもだんだんなれてきて、去っていく時には、
「俺、自分への餞別に、果物を採りに行ってくる」
といって夜の農園に出動していました。
「SARITA」農園のちょっと女っぽいオーナーさん。わたし、反省しています。
仕事は、朝7時開始で、午前10時にイングリッシュティータイム(ただの休憩。めいめい自由に過ごす)12時に昼休憩、3時に休憩、そして、5時までひたすら、採り続ける、という重労働です。
2メートルくらいあるはしごをひとりずつ持って、首からかばんを下げます。

けっこう高いところへ登る。ココから落ちて骨折&肺に穴が開いたという伝説の日本人女性がいた。

果物を採る用のバック。左は女性用で少し小さい。 1箱につき 大0.9NZ$ 小0.7NZ$ でした。

美しくネクタリンを採るわたくし。
ウオー!と、かばんにひたすら果物を入れていき、一杯になったら大きな木箱に移し、チェックマンのおじさんにカードにチェックしてもらい、何バック分採ったかで給料が決まります。
貧乏だった私達は、ひたすらに採りました。
だいたい平均して、100バック採っていましたので、現地のレートで日給約7000円でした。
果物が大好きな私は、ここでも、食べてはとり、食べてはとり、を繰り返すことができ、一生分の「ネクタリン」と「もも」と「さくらんぼ」を食べました。
若かったということもあり、燃えていました
朝7時に働いて、遅くても5時には仕事が終わり、10時には眠くなっていました。
とっても充実した健康的な生活を送ることができて、今考えてみても、良い経験したなって思います。
でも、「いま同じ仕事をしろ」といわれても、しないでしょうきっと・・・。

近くのパブヘ飲みにいった。
おじさんたちとビリヤード大会をして、わたしたちはなぜか優勝。
パチパチパチ。
そして全部おごってもらった。

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「いつもブログを読ませてもらっています。とっても面白いです。TVでみていた芸能人に会うみたいな感覚で、(わたしたちに)会えてうれしいです。」
といっていただき、
「このつたないブログを読んでくれている人がいるんだ。

と感動しました。
それもあって、更新しなければと、久々にはりきっています。
ニュージーランドでのワーキングホリデーの経験話を進めていて、「SARITA」という農園で、果物の収穫作業の仕事につくことができたところまでで話はSTOPしていました。

農園のキャンピングカーに住みこむことになった私たち。

でも、私たちの他に、住み込んで働いていた仲間が2人いました。
その2人は、もちろんSWEETなわたしたちと、キャンピングカーにいっしょに住んでいたわけではなく、みんなが集まる談話室に2段ベットを置いて、そこに寝ていました。
夜になると、TVのあるその談話室で、一緒に映画を見たり、(はっきりいって、全くといっていいほど英語が聞き取れませんでしたが、映像で内容を想像していました。)、「スクラブル」という英語のクロスワードパズルをしたり、「UNO(懐かしい「うの」)」をしたりして遊びました。

夕食後には、みんなで「デザートを採りに行こう!」といって、車で農園に入って行き、まだ収穫していない「さくらんぼ」や「もも」を山盛りとってバクバク食べたり、ジャムを作ったりしました。
「こんなに一杯果物がなってるんだから別にちょっとくらいもらっても全然問題ない。へへへ!」
と思い込んでいたので、実は、わたしがみんなをひきつれて毎晩採りに行っていました。
冷静に判断すると、泥棒に近いような気がします。(いえ、きっと泥棒です)

でも、その時は、全くほんの少しも悪いことだとは思っていませんでした。
初めは、「シーフ、シーフ」(泥棒)と笑いながらわたしのことを呼んでいたいた農園の仲間たちもだんだんなれてきて、去っていく時には、
「俺、自分への餞別に、果物を採りに行ってくる」
といって夜の農園に出動していました。

「SARITA」農園のちょっと女っぽいオーナーさん。わたし、反省しています。

仕事は、朝7時開始で、午前10時にイングリッシュティータイム(ただの休憩。めいめい自由に過ごす)12時に昼休憩、3時に休憩、そして、5時までひたすら、採り続ける、という重労働です。
2メートルくらいあるはしごをひとりずつ持って、首からかばんを下げます。

けっこう高いところへ登る。ココから落ちて骨折&肺に穴が開いたという伝説の日本人女性がいた。

果物を採る用のバック。左は女性用で少し小さい。 1箱につき 大0.9NZ$ 小0.7NZ$ でした。

美しくネクタリンを採るわたくし。
ウオー!と、かばんにひたすら果物を入れていき、一杯になったら大きな木箱に移し、チェックマンのおじさんにカードにチェックしてもらい、何バック分採ったかで給料が決まります。
貧乏だった私達は、ひたすらに採りました。
だいたい平均して、100バック採っていましたので、現地のレートで日給約7000円でした。
果物が大好きな私は、ここでも、食べてはとり、食べてはとり、を繰り返すことができ、一生分の「ネクタリン」と「もも」と「さくらんぼ」を食べました。

若かったということもあり、燃えていました

朝7時に働いて、遅くても5時には仕事が終わり、10時には眠くなっていました。
とっても充実した健康的な生活を送ることができて、今考えてみても、良い経験したなって思います。
でも、「いま同じ仕事をしろ」といわれても、しないでしょうきっと・・・。

近くのパブヘ飲みにいった。
おじさんたちとビリヤード大会をして、わたしたちはなぜか優勝。
パチパチパチ。
そして全部おごってもらった。



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